第十五回 奥飛騨酒造株式会社 (岐阜県下呂市)
「日本酒は造るのも売るのも飲むのも楽しくが良い」
11代目 社長 髙木 千宏 氏
創業1720年。
今年2020年は300周年を迎える記念すべき年。
伝統がありながらも新しいことにチャレンジする積極的な酒蔵。
女性に人気のスパークリングから、外国人に人気の無濾過生原酒まで、
バラエティー豊かな日本酒の美味しさを表現し伝えている。
Interviewee: 社長 髙木 千宏(以下 社長)
奥様 髙木 美賀子(以下 奥様)
後継娘さん 髙木 梨佐(以下 梨佐)
Interviewer: 美宴 吉田 綾子(以下 美宴)
美宴:3人娘の末っ子さんとのことですが、蔵に戻ろうと思われたきっかけは?
梨佐:愛知県の会社で5年働いていたのですが、後継ぎが必要だということで一昨年、蔵に戻ってきました。
美宴:外にお勤めされたことによって、酒造りの世界をどう思われましたか?
梨佐:せっかく酒蔵に生まれたのだから、この大切な日本文化を海外にも伝えて行きたいと感じました。
美宴:娘さんが戻られて、お父様いかがですか?
社長:長女も次女も後を継ぐつもりで入ってくれていたのですが、
2人とも嫁に出てしまいました。今は梨佐が手伝ってくれています。
6時から酒造りをして、午後は営業。と、大変なことをこなしてくれていて、
頑張ってくれているなと嬉しく思っています。
美宴:酒造りは重労働ですよね。いかがですか?
梨佐:昨年は初めてだったので作業の流れを覚えるのに必死でした。
今年は少し慣れてきたお陰もあり、造りが楽しくなってきて魅力を感じてきました。
美宴:酒造りで楽しいことや大変なことは?
梨佐:楽しいことは、やはり相手が生き物なので、
育てて変化していくのを見ているのが楽しいですね。
大変なことは、やはり力仕事を頼らないといけないことです。
美宴:奥飛騨酒造さんが大切にされていることは?
社長:伝統を守ることはもちろんですが、
新しいことにチャレンジすることを大切にしています。
美宴:3年前に髙木酒造から奥飛騨酒造に改名されたましたが、その理由は?
社長:日本には髙木酒造が3件あって、よく間違われるんですよ!
酒蔵見学をしたい人がまったく違う場所に行ってしまったりして。
銘柄と蔵元名を同じにしたことで、よりお客様に認知されやすくなったと思います。
美宴:奥飛騨ウォッカはなぜ?
社長:昭和33年頃、アメリカでのウォッカブームの時に、先代が造りはじめました。
新しいアイデアが好きな人で、わざわざ製造免許をとって造ったんです。
美宴:先代から新しいことが好きだったのですね!
社長:はい。昔は岐阜県で一番小さな蔵でしたが、
昭和56年にはシンガポールへの輸出を始め、
その後、香港やタイなどにも輸出を始めるようになりました。
美宴:輸出を通じていかがですか?
社長:今では約25か国との取り引きがありますが、やはり様々な反応ですね。
台湾だと35%の精米じゃないと大吟醸じゃないと言われます。
香港は高級なものじゃないと売れません。
アメリカは試飲会をしないと置いてもらえず、費用がかかる。など色々ですね。
美宴:これまでの300年の歴史とともに今後どのようになっていきたいですか?
社長:さらに輸出に力を入れていきたいですね。
そして若い世代の方にも飲んでもらえるお酒を目指していきたいです。
美宴:奥飛騨酒造さんのお酒の特徴は?
社長:無濾過生原酒が一番人気があるのですが、
香り酵母を使い、親しみやすく飲みやすいお酒から入っていただけるように造っています。
それに続き山廃など他、色々な種類のお酒を造っています。
美宴:日本酒を通じて何を伝えたいですか?
社長:お米と水の良さを伝えていきたいです。技術とかデザインではなく、
お米と水の良さを訴えられるのが日本酒だと思っています。
Made in Japanを強調しながら、お米の種類で味が変わることを伝えたいです。
中国は白ワインと日本酒を比べますが、
そもそも軟水と硬水の違いも影響していますよね。
美宴:日本酒はどのようなものだと思われますか?
社長:日本人の心だと思います。
日本で飲むとあまり分からないかもしれないが、
海外で飲むと、和食と日本酒でホッと気持ちが落ち着くんですね。
梨佐:私は、人と人をつなぐコミュニケーションツールだと思います。
お酒の場では皆さん笑顔ですし、楽しい空間をつくれますよね。
奥様:日本の誇るべき文化だと思っています。蔵の中での道具を大事にすること。
早朝から生き物を相手にした造りの努力。その日本酒造りの工程がやはり誇るべきものだと思っています。
社長:やはり料理を引き立てるお酒がいいですね。深く考えないで飲む。
酒で酒を飲むのではなく、造るのも売るのも飲むのも楽しくが良いですね。
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