第十三回 山盛酒造株式会社 (愛知県名古屋市)
「伝統を守りつつ、新しいチャレンジの
コンセプトシリーズを味わってもらいたい」
6代目 取締役 山盛 岳志氏
明治20年(西暦1887年)
江戸時代築造の酒蔵を譲り受けて大高にて創業。大高の古い街並み・昔ながらのたたずまいを残す酒蔵の中で丁寧に造られている。
Interviewee: 取締役 山盛 岳志(以下 山盛)
Interviewer: 美宴 吉田 綾子(以下 美宴)
美宴:創業されてから132年間、大高の地で酒造りを守られているのですね。
山盛:父が5代目社長で、私自身は今、取締役という立場で動いております。
美宴:山盛さんが酒造りに入られたのはいつですか?
山盛:今から7年前の2012年に戻りました。
それまでは東京でコンピューター関係のシステム会社の営業をしていました。
美宴:蔵に戻ろうと思われたきっかけは何ですか?
山盛:東京に行ってから何年か経った時に蔵開きの手伝いに来たんです。
蔵開きには、近所の方や昔からご縁のある人たちが
手伝いに来てくれるのですが、
みんな私が息子だということに気づかず、
「ここの酒は旨いぞ!飲んでみろ!」とか
「この建物は俺が建てたんだ」
というように話しかけられたんですね。
その時にこの旨い酒と建物はこれから自分が守っていこう
って心が動かされたんです。
美宴:30代前半で大きな決断をされましたね。
山盛:3年間ほど色々考えましたが、
妻の後押しもあり家業を継ぐことを決めました。
美宴:奥様の後押しとは心強いですね。
実際に蔵に入られていかがですか?
山盛:とても楽しいですよ。消費者の方々と近いですし、
感想など直接聞いたり、反応を感じられるのは、
仕事をしていく上での刺激になりますね。
美宴:言われた中で一番嬉しい言葉は?
山盛:やはり「旨い」と言われることは嬉しいですね。
あ、あと「わたし日本酒大好きです」という言葉は一番好きですね!
これからも美味しいお酒を造っていこうって思います!
美宴:酒造りで大変なことは?
山盛:父の見習いの中での、早朝からの重労働などありますが、
大変だと思うことはありませんね。
美宴:素晴らしいですね!
逆に楽しい部分、酒造りに携わっていてよかったと思う部分は?
山盛:出来上がりのお酒を誰よりも早く飲めること!
美宴:たしかに!それは蔵人ならではの特権ですね!
今後、消費者の方々に蔵元として伝えていきたいことは何ですか?
山盛:消費者に直接というよりも、今後うちとしては、
コンセプトシリーズという商品を通して、
酒屋さんに山盛酒造の想いをわかっていただき、
蔵の背景や味の旨さを消費者に
伝え広めていきたいと思っています。
酒蔵は決して神聖な場所である必要はなく、
人が集う場所であるのは良いことですが、蔵元のイメージを
売り手の酒屋さんと協力し、広めていくのが今後の方針です。
美宴:なるほど。
外国人の方々に伝えるのも同様で、お酒単体で売るよりも、
その蔵のコンセプトやストーリーが大切になってくるんですよね。
山盛:蔵元がスピーカーになるというよりも、
蔵全体としての魅力を伝えていきたいです。
美宴:酒蔵ライブを開催されている理由もそのひとつですか?
山盛:酒蔵ライブは少し違うかもしれません。
いま緑区の人口が24万人。
もっと地元を楽しんでもらいたい、盛り上げたいという思いで
社長が立ち上げたものです。
一般消費者の方々が多いのですが、
これからは酒屋さんにも足を運んでいただき、
うちのことを知ってもらえたらと思っています。
美宴:「鷹の夢」の由来は何ですか?
山盛:大高(おおだか)の鷹でもありますし、
初夢に見ると縁起が良いと言われている
「1富士、2鷹、3なすび」が命名の由来と言われています。
美宴:今後のビジョンは?
山盛:第一に地元を大切に。
130年以上続けられてきたのも地元のおかげですから。
地元に根ざした上でさらにコンセプトシリーズで発展させていくのが
私の役目だと思っています。
美宴:近年、日本酒イベントが多くなってきて、
蔵元さんたちもとてもお忙しそうですが、
山盛さんも関東方面によく行かれていますか?
山盛:東京は好きですが、頻繁には行かないですね。
うちの個性的な酒質の良さを理解して広めてくださる酒屋さんとのご縁を
大切にしていますので、徐々に広がって行けば良いと思っています。
地元を大切にすることが大前提ですので。
美宴:古くから続く伝統の造りも大切に守りつつ、
今後の新しいチャレンジの展開を楽しみにしています。
ありがとうございました。
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